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高田城三重櫓(高田城跡公園)
慶長19年(1614)、松平忠輝の居城として築かれた。
現在の高田城三重櫓は、文書や古絵図、発掘調査による資料をもとに平成5年に復元されたもの。
1・2階は展示室になっており、伊達政宗の手紙、榊原氏歴代の資料、城跡の出土品などが展示され、3階は展望室になっている。 |
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上越市立歴史博物館(高田城跡公園)
「越後の都」をテーマに、安土桃山時代以降の地域を歴史を解説する常設展示室。
春日山城・福島城・高田城の三城の変遷やその時代背景、そしてその後の地域の発展のようすを学ぶことができるようになっています。内堀や本丸土塁に臨む1階ラウンジや三重櫓から妙高山・米山までを一望する屋上展望デッキを無料でご利用いただけます。 |
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上杉謙信公像(春日山城跡) 享禄3年(1530)、越後守護代長尾為景の末子として生まれる。
春日山城を居城として、越後を統一する一方で、信濃・関東・北陸へと出兵し、49歳で没するまで一日として身の休まる日はなかった。武田信玄に領地を奪われた北信濃の武将を助けるため出陣し、信玄と5度も戦った川中島合戦はことに有名。 |
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林泉寺 謙信の祖父長尾能景が父重景の菩提を弔うため明応6年(1497)に建立。
謙信は7歳から14歳まで、名僧天室光育の下で厳しい文武の修行を積んでいる。
謙信が戦国武将のなかでも特に教養が高く、信仰心が厚いのは、この時代に培われた。 |
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国分寺(親鸞聖人) 奈良時代の国分寺がどこにあったかは今もって不明ながら、室町時代には都から多くの文人墨客が訪れ、国分寺を参詣している。その一人で相国寺の僧万里集九の著書「梅花無盡蔵」には、盲目の僧の目が開き、礼に奉納したという琵琶のことや、お堂が「山の如く海涯に冠たり」という姿で建っていると書かれている。しかし、その位置も不明のままである。
現在の五智国分寺は永禄5年(1562)上杉謙信が再興したと伝えられ、謙信の当時は真言宗であったが、江戸時代になって天台宗となり、幕府から厚い保護を受けていた。境内には親鸞聖人の配所であった竹の内草庵がある。 |
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スキー発祥記念館(レルヒ少佐) 金谷山は、明治44年(1911)、オーストリア軍人テオドール・フォン・レルヒ少佐によって日本で初めてスキー術が伝えられた日本スキー発祥の地。記念館には、当時のスキー板、様々なスキー文献、遺族から寄贈された手記などのレルヒ少佐に関する資料など、貴重な資料を多数展示している。
スキーのシミュレーションで実際のスキーを体感できる。 |
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前島密記念館(前島密) 「郵便の父」と呼ばれる前島密は、明治3年、駅逓権正(えきていごんのかみ)に任ぜられ郵便事業開始を発案した人物。
遺品や切手、飛脚の歴史、電信、電話の歴史が分かるように展示されている。 |
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上越市立水族博物館「うみがたり」
大水槽上部の水面と日本海の水平線が重なり合う空間で、日本海の雄大さを感じ、時には美しい夕焼けに目を見張る景色を見ることができます。豊かな日本海をテーマとした大水槽は、季節や天候によって見るたびに違う表情を魅せてくれ、下の方には、天井から足もとまで全面が透明なガラスになっている水中トンネルがあり、まるで海の中を散歩しているような体験ができます。世界一の飼育数を誇るマゼランペンギンとのふれあいや、イルカショーも魅力です。 |
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